温故知新

温故知新」は「故事成語」で孔子の「論語」に由来します。

「子日(しいわ)く、故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る、以(も)って師と為るべし」
【現代語訳】
「孔子先生がこういいました。古くからの教えを学び理解し、その上でさらに
新しい知識を得ることで、人に物事を教える事ができる先生になれます。」

国際、国内情勢を初め、今日の複雑化していく社会情勢の中で、古き良き文献や過去の歴史等を通して、私が学んだこと、思うことをこのサイトにシェアし、皆様と共に、政治、経済、教育、子育て等に関して考え、学ぶ機会が与えられればと思います。(北村塾「塾報」を、そのまま投稿する場合もあります。)

人は、4つの物を通して学ぶと言われています。
① 人から ② 本から ③ 経験から ④ 天から
学んだことを、このサイトでご紹介いたします「情報&理念」が、皆様の日々の生活、生き方の一助になれば、幸いです。

「実践・論語塾」に参加して

(2022.8.19)
この度、延岡・マロエールオークパイン行われた「実践・論語塾」に参加する機会がありました。講義は、長峯基先生が安岡定子先生(祖父君は歴代総理の指南役、安岡正篤氏)をご紹介されるかたちで行われました。
論語は中国の古典・四書五経の1つで、約2500年前の、孔子の言動や弟子たちとの問答などを記録した書物で、孔子の思想の真髄を伝える者として、古くから日本でも親しまれてきました。その中心的主張は仁「思いやりの心・愛情」の重要性です。
戦乱の世にあって、理想の人物像、理想の政治家の実現に最も大切なものは仁であると説いています。
(講義に中で引用された論語を一部紹介します。)
「仁に里(あ)るを美と為す。択(えら)びて仁に処(お)らずんば、焉(いずく)んぞ知るを得ん。」
(仁を大事にする態度が美しいのだ。それが分かっていながら、仁からとおざかってしまっては、知恵なある立派な人とはいえない。)
「故きを温ねて新しきを知れば、以って師と為すべし。」
(昔の人の教えや過去のことについて学習し、そこから新しい考え方取り組み方を見つけられれば、先生となることができる。)
論語は、江戸時代には藩校や寺子屋でも盛んに読まれ、日本人の精神文化にも大きな影響を与えてきました。日本人の豊かな感性、優しい心、清く強い精神力、あるいは困難や悲しみを乗り越える力は、歴史を通して、このようにして、ゆっくりと日本人の中に育まれてきたともいえるでしょう。
セミナー後は、仁の心を持って、快く、写真撮影にも応じてくださいました。さすがは、論語の先生です。
長峯基先生、安岡定子先生の更なるご活躍をお祈りいたします。



塾報「心を育て、知識を磨く」 R2.6

鞠躬尽力(きっきゅうじんりょく)死して後やまん。」
AD228年、諸葛孔明(しょかつこうめい)は圧倒的に戦力に勝る宿敵・魏(ぎ)の国に戦い挑み、最後の出陣に臨んだ時に、この言葉をもって自分の軍隊を鼓舞したと言われています。【三国志より】
「体を鞠(マリ)のようにちぢめて全力を尽くすこと(鞠躬尽力)を、死ぬまで続けてやまない」ということを意味しています。

吉田松陰(1830~1859、日本の武士、明治維新の精神的指導者)もこの言葉に感激していました。野山獄に投ぜられた時、同囚の人たちと『孟子』(BC372~289、中国戦国時代の儒学者)を勉強する中でこの一文を紹介し、この言葉こそ「道を学ぶ者の根本精神である」と述べています。

そして、この吉田松陰こそが、この言葉通りの人生を生きぬいた人でした。
(以下、人間学を学ぶ月刊誌「致知 2020.6」より抜粋)
「渡部昇一氏が『人生を創る言葉』(幣社刊)の中で松陰のエピソードを紹介している。

安政元年3月28日、松陰は伊豆下田の牢にいた。その前夜、下田沖に停泊していたアメリカの軍艦に金子重輔と乗り込もうとして失敗したのである。松陰は牢番にお願いする。『実は昨日、行李(竹・柳などで編んだ箱形の物入れ)を流されてしまい、手元に読み物がない。何か書物を貸してもらえないか』。牢番は驚いていった。『あなた方は大それた密航を企み、捕まったのだ。どっちみち重い刑をうけるのだから、何も檻の中で勉強しなくてもいいではないか』。
松陰はこたえる。『ごもっとも。それは覚悟しているが、お仕置きになるまでまだ時間がある。それまではやはり一日の仕事をしなければならない。人間はこの世に生きていれば一日の食物を食らい、一日の衣を着、一日の家に住む。それであるから一日の学問、一日の事業に励んで天地万物のご恩に報じなければならない。この儀が納得できたら、ぜひ書物を貸してもらいたい。』牢番は感心し、松陰に本を貸した。松陰は『金子君、きょうこの時の読書こそ本当の学問だ』と言ったという。」

牢に入って、いつ処刑されるか分からない状況の中にあっても、松陰は自己修養、勉強を止めませんでした。どうせ死ぬかもしれない状況の中で、最後の一瞬まで向上心を持って、学ぶことに最善を尽くそうとした、そのことが後の世に、多くの人々から立派な生き方と称せられているのだと思います。この松陰の生き方は、いかなる危機的状況におかれても、絶えず「自らの人格の発展のために、問題打開(解決)のために尽力を尽くす」ことの大切さを、私達に教えています。

今日、新型コロナウイルスが全世界を席捲し、未曽有の被害をもたらしています。人類は英知を結集して、このウイルスという見えない敵と戦っています。まさに鞠躬尽力(きっきゅうじんりょく)の時であると言えるでしょう。

さて、塾生の皆さん、毎日の勉強は如何ですか。学力向上、志望校合格という目標を、鞠躬尽力(きっきゅうじんりょく)の精神をもってすれば必ず道が開けると思います。君の今日の努力が、君の将来を築くのです。  

「子供は未来の宝」がんばれ宮崎の子供たち!!     (塾長 北村康広)

情熱の「北村塾」www.kitamurajuku.com

◆ 塾報「心を育て、知識を磨く」  R2.1

明けましておめでとうございます。今年もどうぞ宜しくお願いいたします。
新しい年も、塾生1人ひとりの志望校合格&学力向上を目指し、講師一丸となって奮闘してまいる所存です。

今回は、「論語」より「知・好・楽」という言葉を紹介したいと思います。
「これを知る者は、之を好む者にしかず。これを好む者は、これを楽しむ者に如かず。」
(現代訳)「あること(之)を知っているだけの人よりは、それ(之)を好きになった人の方が優れている。それ(之)を好きになった人よりは、そのこと(之)を楽しんでいる人の方がもっとすぐれている。」

先日、個人指導のクラスが終了後、塾生が「先生、最近、勉強が楽しくなってきました。」と言いながら後片付けをしてくれました。私は、大変この言葉に感動し、嬉しく思いました。
何事も、楽しくそれができたに越したことはありません。
日々の勉強、スポーツ、時には、お手伝いを義務感でやるのではなく、それを好きだという気持ちを待つ。積極的に取り組むことを通して、努力を努力と感じることなく、仕事に没頭することができるわけです。すると、自然と上達して、結果に繋がったり、褒められたり、他の人の役にたつことができて、それが楽しさに繋がっていくというわけです。皆さんが、大人になってする仕事に、これを例えると、「その仕事を知っているだけの人は、仕事を好きな人にはかなわない。さらにその仕事を好きなだけの人は、仕事を楽しんでいる人にはかなわない。」ということになります。

一度っきりの人生、今日をいう日を大切に、精一杯頑張って、厳しい中にも楽しさ(喜び)を見いだし、全力投球で、生きていきましょう。
やる気、根気、元気、北村塾は応援します。

心を育て、知識を磨く!
情熱の「北村塾」塾長 北村やすひろ
http://www.kitamurajuku.com/
「北村やすひろ後援会」オフィシャルブログ