高市早苗事務所より陣中見舞いの礼状届く。


以前にも、ご紹介しましたが、令和3年10月の衆議院選挙の前に、奈良に行く機会がありました。
宿泊先の大和郡山付近をドライブしていると、何と、選挙用掲示版で「日本を守る、未来を拓く」高市早苗議員のポスターをチラホラ見かけました。思い切って、奈良の選挙管理委員会に問い合わせ、高市事務所の住所・電話番号を教えていただき、直接事務所に問い合わせて、お邪魔させていただきました。良い交わりの時を持たせていただき、事務所の皆さんには、「大きな励ましをいただきました。」と非常に喜んでいただきました。
その時の陣中見舞に対するお礼を兼ねたものと思いますが、現在の活動報告が書かれた手紙が届きました。(令和4年2月18日)直筆のコピーだと思われますが、丁重な対応に感銘いたしました。(感謝!)

「日本を守る。未来を拓く。」高市早苗選挙事務所を訪ねて。

今回所用で、奈良に行く機会がありました。宿泊先の大和郡山付近をドライブしていると、なんと、高市早苗議員(自由民主党・政調会長)の選挙ポスターを掲示版でチラホラ見かけました。

先の総裁選挙で、保守系の人々に大変な共感を与えた、時の人です。
「日本を守る。未来を拓く。高市早苗議員。」帰りに、選挙事務所をお邪魔できないかと思い、奈良の選挙管理委員会に問い合わせ、住所・電話番号を調べ、直接事務所に問い合わせて、お邪魔させていただきました。(10月27日)事務所の前には、高市さんが以前乗っていた「トヨタのスープラ(スポーツカー)」が置いてあり、若者の目を引き、時々、若者の訪問客があるとのこと。車も選挙活動に一役かっていました。スタッフの方によれば、「人馬一体」という言葉があるが、「人車一体」といった名コンビだったようです。事務所の皆さんには、「おおきな励ましをいただきました。」と喜んでいただきました。

さて、今日で衆議院選挙の選挙運動は終了しました。日本の未来を決定するのは、国民一人だと思います。明日は、私(北村)は、必ず、選挙に行ってまいります。

国旗に敬意と愛情を‼️ 2020.9

9月21日「敬老の日」、9月22日「秋分の日」、北村塾では国旗を入り口の所に掲げました。 「国旗は国民の歩み、価値観、国土、誇り、独立国家の象徴」 歴史を正しく理解し、日の丸??を愛し、我が国、日本を愛し、郷土「宮崎」を愛する心を子供達に持ってほしいと願っています。 http://www.kitamurajuku.com/

2019.10.21平和への祈り(宮崎県遺族会館を訪ねて)

10月18日、宮崎市末広町にあります「宮崎県遺族会館」を訪ねました。太平洋戦争で亡くなられた方たちの、手紙や遺品、そして、写真等が収蔵されていました。戦争中食料難で苦しむ子供たちの生活の様子、また、戦場に命を懸けて散っていった、愛する肉親を持つ遺族の皆様のことを思い、心が痛みました。

同時に、最近の致知(人間学を学ぶ月刊誌)で紹介されていた記事が思い出されました。
2006年11月、その年の、ノーベル平和賞受賞者3人(ダライ・ラマ、デズモンド・ツツ大司教、ベティ・ウィリアム氏)による「広島国際平和会議」が開催されました。
「各人の心の平和や家庭の平和」こそが、世界平和の源泉であるとの3人のメッセージは、世界平和につながる大切な事が、私たちの身近なところに既に有るということを私達に訴えているように思いました。

平和会議の最後に「共同宣言」が採択され、世界に向けて発信されました。3人が壇上で署名した宣言文に、次の一節があります。
「私たちは、ひとつの家族の兄弟であり、姉妹であり、そして人類というひとつの全体です。・・・・
私たちは、他社が味わっている苦しみ、子どもたち、弱者たち、高齢者たち、彼らの痛みに無関心であることをやめて、世界全体を問題としなければならないのです。問題が起こっているその原因は、私たち自分自身にあります。そして、その解決もまた私たち自身から始まるのです。」(致知2019.10より抜粋)

今回の訪問は、平和の大切さについて、今一度考え、祈らされる時となりました。

2019.8.4「被爆から74年」

被曝から74年、広島原爆の日、
人類史上初の都市への核爆弾で、約56万人の方が被爆し、
多くの尊い命が犠牲となりました。
被爆された皆様のことを思い、私も、黙祷を捧げました。
平和であることを当たり前として思わず、生かされていることに感謝し、その日、その時を、大切に生きていきたいと思います。

2019.7.27「子供の7人に1人が貧困」

 私は、最近、ボランティア活動について考え、また、接する機会がありました。
日本の精神文化では、本来、「世のため人のため」、すなわち「公のため」に生きることの大切さを教えていると思います。
「公」のために生きた、私たちの身近な人としては、社会福祉事業家の石井十次先生(1865~1914)がいます。明治20年岡山に孤児教育会(後の岡山孤児院)を設立し、39年には1,200人を収容。44年に宮崎県茶臼原に孤児院を移し里親村づくりや孤児の労働による自立を指導しました。また、情操を豊かにするため「風琴(ふうりん=オルガン)音楽隊」を設立。彼は、生涯を孤児救済にささげ、多くの孤児たちのために、まさしく「公」のために生きた宮崎県郷土の先覚者と言えるでしょう。
 そして、今回、恵まれない子供たちのために活動しておられる、富井真紀さんの出版記念パーティー(2019.7.27 ホテルメルージュにて)に出る機会がありました。
「子供の7人に1人が貧困というこの国で、私達ができることが、きっとあります。」(本「その子の『普通』は普通じゃない」より)今一度、私たちの社会を見直し、自分にもできることがあるのではと、心に訴えるものがありました。