今日は、先日の、歴史談話会「大東亜戦争と太平洋戦争」でお世話になった(県立北高校教諭)大田原勉先生が、「君が代」&「海ゆかば」を独唱されることもあり、「平和を祈念する宮崎県民の集い」に参列してまいりました。式典は、来賓の挨拶や女子アナウンサーの「英霊の遺書朗読」等、戦没者を追悼すると共に、平和への祈念が捧げられました。今年も、朗読を通してご紹介下さったのは、私が現在住んでいる、宮崎市・住吉出身の、永峰肇海軍飛行兵曹長の辞世の句でした。
「南溟(南の大きな海)に たとえこの身が 果つるとも いくとせ後の 春を想えば」
(昭和19年10月25日 神風攻撃隊 敷島隊4番記機として出撃 19歳で散華)
国を愛し、国のために尊い命を捧げられた先人の皆様を、心からの畏敬の念を持って追悼いたしました。また、戦争という惨事を通して、尊い若い命が失われたことの無念さを感じると共に、平和について祈りを捧げる時となりました。