「子供は未来の宝」
「子供たちに正しい歴史教育を!」~日本の国に誇りを持とう!(1)
大東亜戦争(太平洋戦争)が終わり、75年が経とうとしています。
今回、この戦争に至った歴史的背景を考えてみたいと思います。
日本が明治維新を経て開国した当時、東アジアのほとんどの国々が欧米列強の植民地になっていました。(当時、世界は、インドはイギリス、インドネシアはオランダ等、ヨーロッパの8カ国とアメリカの植民地でした。アジアでは、昔シャムと言った今のタイと日本だけが独立を保っていましたが、タイに関していえば、イギリスとフランスの干渉地帯であったため、何とか独立を保っていた、半独立のような状況でした。したがって、真の独立国家は日本だけでした。)このままでは日本も同じ道を辿(たど)るかもしれない。そう危機感を覚えた明治政府は、「軍事力を強くする、産業を興す、国民を教育する」等のことに力を入れ欧米列強に追いつこうと努力を重ねました。
そして短期間で、日本は世界の強国(大国)の一角を占めるようになります。しかし、アジアの諸国のほとんどは依然として欧米列強の支配の元、植民地化され苦しんでいました。何とか、アジアを開放したいと思った日本は、第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会(1919年)において、「国際連盟規約」中に「人種差別の撤廃」を明記するべきという提案を指しますが、欧米の力によって却下されました。
国際会議において「人種差別の撤廃」(奴隷制の撤廃)を明確に主張した国は日本が世界で最初です。
その後も、欧米列強はどんどんアジアに進出してきました。そこで、日本はその勢力を排除して一つのアジアとして共に栄える地域をつくろうと、「大東亜共栄圏」という大きなスローガンを掲げ、戦争へと突き進んでいきました。「大東亜共栄圏」を語る上で、重要な概念に「八紘一宇」という言葉があります。
「天の下では人は皆平等であり、民族などは関係なく、世界を一つの家族のようにしたい。」これが宮崎の平和台公園の平和の塔(Tower of peace)に刻まれている「八紘一宇」(秩父宮殿下直筆)の考えです。ですから、今の人は、先の大戦を「太平洋戦争」と呼んでいますが、当時は「大東亜戦争」と呼びました。
結果的に先の戦争は、在米資産凍結、石油等重要資源の禁輸といった様々な経済制裁を受け、窮地に追い込まれた日本が引き金となりました。戦争は絶対にすべきではありません。しかし、この戦争は日本だけが悪かったとも言えないでしょう。また、単なる侵略戦争でもありませんでした。東アジアの平和と日本の自存自衛のための戦いでもありました。事実、戦後、史実として欧米列強からの圧力と戦い多くのアジアの国々が独立を果たしました。ですから、東アジア諸国の国々を独立させるために日本が人柱になった戦争でもありました。
ところが、戦後、GHQの支配の元、左派のジャーナリズムの影響もあり「所謂、あの戦争は全て日本が悪かった」という洗脳教育がなされ、その後も、慰安婦問題、徴用工問題、南京大虐殺問題等、捏造された史実によって多くの子供たちが自虐史観(日本悪玉史観、東京裁判史観)を抱くような反日教育がなされてきたことは事実です。
重要なのは、「過去の歴史をどう理解するか」という歴史教育が国民としてのアイデンティティーを形成するということです。私達の国、日本という国家への所属意識と言っても良いでしょう。(親が愛国心が無いと、子供達は苦しみ、国に対する誇りを持つことができず、駄目になります。)子供たちの健全な自我形成のためにも、今一度、歴史を見直し、この国を守ってきた先人たちへの畏敬の念を持ちたいものです。
「子供たちに正しい歴史教育を!」~日本の国に誇りを持とう!(2)
GHQの占領政策の下、「戦前、日本は侵略国家だった」と、自虐史観(日本悪玉史観、東京裁判史観)に基づく反日教育がなされ、それは戦後の日本の教育界に大きな影響を与え、いまなお子供たちの心の土台を蝕んでいます。しかし、当時、アジアにおいて、人種差別意識に基づいた過酷な植民地支配を行い、植民地を奪い合って、何百年も戦争を繰り返していたのは欧米諸国です。
日本は戦争に負けましたが、先の戦争(太平洋戦争:当時は大東亜戦争と呼びました。)は、欧米列強の植民地支配から、アジアを解放するための、「東アジアの平和と日本の自存自衛」のための戦いでもありありました。
事実、戦後、史実として欧米列強からの圧力と戦い、多くのアジアの国々が独立を果たしました。(この時、アジア諸国に残っていた日本兵の活躍がありました。例えば、インドネシアにおいては、約2000名の日本軍が残り、オランダからの独立を勝ち取るために貢献しています。)ですから、東アジア諸国の国々を独立させるために日本が人柱になった戦争でもありました。
重要なのは、「過去の歴史をどう理解するか」という歴史教育が、国民としてのアイデンティティーを形成するということです。こうした「歴史の正しい理解」が国民としてのアイデンティティーの形成に欠かせません。歴史教育は道徳教育にも繋がる重要な問題です。もし、「自虐史観」を私達が抱き、「国を愛せない」としたら、このことは「我々の父祖を」、「郷土を」、「学校を、家庭を」結果的に「自分を」愛せない「自己否定観」に繋がりかねません。この「自己否定観」が、「自殺誘発史観」となり、毎年2万人以上の自殺者を出す「自殺大国」をつくる要因の一つになっていると言われています。そして、歴史学者の中には、この「自己否定観」が現代人の心を支配し、学校においては「いじめ・不登校」、家庭においては「DV、幼児・児童虐待」等、様々な人間関係を蝕み、歪みを与える要因にもなっていると分析している方もいます。
戦後、従軍慰安婦、徴用工、南京大虐殺等、捏造された史実によって、反日教育がなされて来た事は事実です。本当はどうだったのか歴史を正しく理解し、見直すことを通して、自然と「自己肯定感」が湧いてくるのではないかと思います。
私(北村)は、今日、令和3年8月15日、終戦の日、この国のために命をかけて戦い命を捧げられた先人の皆様に畏敬の念を持ちたいと思います。そして未来の日本を守るために、今一度、歴史を正しく見直し、「日本の誇りを取り戻す」活動をこれからもしてまいりたいと思います。
「昭和天皇と日本精神」(マッカーサー元帥を動かした昭和天皇)
武士道は、日本精神の中心にありました。そして日本を守り、堅く立て、導いてきたものです。
終戦後、昭和天皇が、アメリカ占領軍のマッカーサー元帥の所に出向かれました。マッカーサーはその時、天皇は命乞いに来たのだろうと思いました。戦争に負けた国の元首は、命乞いをするか、亡命して逃げるかしかなかったからです。
しかし、昭和天皇はマッカーサーの前に立ち、「一切の責任は私にあります。すべての責任を私が負います。私を生かすも殺すも、あなたの手の中にあることです。しかしどうか日本国民を助けていただきたい」といった内容のことを話されました。私は死んでもよいが、日本国民を助けていただきたいと、切々と語られたというのです。
その時、マッカーサーは深く心を動かされました。はっきりとマッカーサ―の両目を見すえ、自分の命さえ惜しまず、国民のために真摯に語る昭和天皇を前にしたマッカーサーは、圧倒されました。「(天皇の)勇気に満ちた態度は、私の骨の髄まで揺り動かした。」と彼は後の回顧録に書いています。
当初、会談を簡単に片づけようと思っていたマッカ―サーでしたが、昭和天皇の言動に感動した彼は、約45分間も話し込みました。そしてこの会談ののち、彼は本国アメリカに連絡して、ウソまでついて日本への食料援助を倍増させたのです。マッカーサーは、「私は、こんな立派な元首は、見たことがない」と語りました。マッカーサーさえも恥じ入らせ、骨の髄まで揺り動かしてしまうような昭和天皇の態度とお言葉は、一体それはなにから来ていたのでしょう。「命をかける価値のあるもののためには、自分の命を惜しまない。」そういう日本古来の武士道を、昭和天皇は身に着けておられたのだと思います。
歴史教育は道徳教育に繋がる大切な問題です。いつの時代にも、我が国・日本には誇るべき方がいました。この国のために、命がけで生き、命を捨てた先人たちのためにも、今一度、正しく歴史を見直し、「日本の誇りを、取り戻す」活動をしてまいりたいと思います。
「日本精神」に支えられた政治家
日本の精神文化では本来、「世のため人のため」、すなわち「公のため」に生きることの大切さを教えています。この精神を日本で学んだ政治家がいます。戦後、台湾の総統をつとめた李登輝(りとうき)氏(1923~2020)がその人です。
彼は22歳の時まで(京都帝国大学卒)日本人でした。李登輝氏は日本精神として、とりわけ、
「滅私奉公」(私利私欲を捨てて公に奉じる)
「公義」(社会正義を大切にする)
「率先垂範(そっせんすいはん)」(自ら率先し模範をしめす)
の三つをあげています。
彼は、総統だった12年間に、台湾を力強い国家に育て上げました。彼ははっきり言うのです。「疾風怒濁(しっぷうどだく:強い風と大きな波)の総統時代に、私を支えたのは、日本精神と武士道だった。」中国共産党の弾圧や国内の民主化運動を妨げる勢力にも屈せず、教育改革、政治改革など、様々な改革を実現できたのは、日本精神によって養われたものがあったからだと言っています。
日本人以上に日本を愛したと言われる李登輝氏の言葉です。
「終戦後の日本人が価値観を百八十度変えてしまったことを、私はいつも非常に残念に思っている。若い世代の日本人は、一刻も早く戦後の『自虐的価値観』から解放されなければならない。そのためには、リーダーたる人物が若い人たちにもっと自信を持たせてあげなければならない。日本人はもっと自分たちの歴史と伝統に自信を持ち、日本人としてのアイデンティティーを持つ必要がある。そうして初めて、日本は国際社会における役割を担うことができるはずだ。」
戦後75年たっても、GHQ及び左派のジャーナリズムの影響は今なお我が国に残っていると思われます。そして、残念なことは、自我形成のために非常に大切な時期である子供たちの学校教育の世界においても中国や韓国に忖度された教科書が採用され、慰安婦問題、徴用工問題、南京事件(大虐殺)等、捏造され史実による反日教育がなされてきているということです。
今日、李氏だけではなく多くの台湾人が戦前そして戦争中の日本の統治の在り方に感謝していると言われています。そして、彼らは、特に日本が日本の伝統や精神文化を伝えてくれたことに感謝しているのです。
李氏の言葉の通り、今一度、歴史を見直し、戦後の「自虐史観」から解放され、日本人としての誇りを取り戻してまいりましょう。そして、自分たちの国、日本という国を愛し(愛国心を抱き)、誇りと自信を持って、日本人としてのアイデンティティーを確立してまいりましょう。
(参考文献:日本民族総福音化運動協議会 理事 久保有政先生が貴協議会の「会報」に寄稿された「寄稿文」)
国を愛し、人を愛し、人に尽くす。
我が国(日本)の伝統・文化を尊重し、国を愛し、郷土「宮崎」を愛する心を育てよう!
【教育の目標】(教育基本法第2条第5号)
「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできたわが国と郷土を愛するともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。」
(2020.8)
育て上げる喜び!!
苦手に勝つ、自分に勝つ、受験に勝つ!
ガンバレ、宮崎の子供達!!
心を育て、知識を磨く!
情熱の「北村塾」塾長 北村やすひろ
http://www.kitamurajuku.com/