「東洋医学、予防医学や代替医療の大切さ」

先日(2023.3.19)、宮崎県マッサージ師会・押川隆理事長の訪問がありました。現在、私が治療でお世話になっている(鍼灸院)「マルイエン」の佐山恵一院長(元塾生で現「北村やすひろ」後援会副会長)から紹介をいただきました。
東洋医学、予防医学や代替医療の大切さ等について語り合い、有意義な時を持ちました。高齢化社会に於いて、広く国民の健康増進と疾病治療に貢献することのできる大切な業種であると思いました。
コロナ禍の中、色々な困難を経験されていると思いますが、医療関係の皆様頑張ってください。

「遂げずばやまじ!」

《情熱の「北村塾」、塾報「心を育て、知識を磨く(2023.1)」紹介》
「遂げずばやまじ(略)おのれ、不肖にはあれど、この誡語(かいご)を服膺(ふくよう)す。」
(成し遂げるまでは、諦めない。自分は取るに足らない者だが、常日ごろからこの戒めの言葉を心にとめて忘れない。)
日本の蘭学の先駆者、大槻玄沢(1757~1827)はこの言葉を生涯、自戒の語としたと言われています。
明治時代、日本語辞書の完成は、日本の「独立の標語」となるもので、明治政府が早急にやりとげなければならない大事業でした。その時、駆り出されたのが、日本の蘭学の先駆者、大槻玄沢の孫である大槻文彦(1847~1928)でした。
彼は、17年の歳月をかけて日本初の「近代国語辞典『言海』」を編輯(へんしゅう)しました。仕事は、困難を究めました。
明治23年に1歳の次女を亡くし、次いでチフスで、最愛の妻を30歳で亡くした時は、さすがの文彦も数日間筆をとる力も出なかったと言われています。けれども、事あるごとに、常にこの父祖(玄沢)の言葉を忘れずに、心にとどめ、困難を克服していきました。
偉業を成し遂げた人は皆、“遂げずばやまじ”の精神を体現した人と言えるでしょう。
先達の言葉を範として、私達も我が業に臨んでまいりましょう。

君の、今日の努力が君の未来を切り開く力となるのです。今年一年、 「学力のアップを目指して、日々の学習を大切にしていきましょう!
ヤル気、根気、元気、北村塾は応援します!

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「地域集会」(宮崎市政を語る会)

「地域集会」(宮崎市政を語る会)

「おはようございます。お気をつけて‼️
今日も、声掛け、あいさつ運動に行って参りました。😊
「元気な宮崎、活力のある #地域づくり に貢献したい。」このような志が与えられて、現在、地域イベントにスタッフとして参加、 #あいさつ運動 、#地域防犯活動 、小学校や中学校の学校運営協議会委員等を通して、地域の皆様と交流させていただいております。
この度、「 #地域集会 」を実施し、宮崎の「 #市政 」について皆様と共に語り合う時を持ちたいと思います。
◎日時:令和5年1月21日(土)19時~
場所:麓公民館【宮崎市広原7799】
集会は、「 #北村やすひろ 」の個人演説を含み、40~50分で、終了したいと思います。
皆様のご要望等ありましたら、お聞かせください。お気軽に、ご参加ください。🙇‍♂️
また、 #地域産業 の活性化を願っています。
集会後、希望される方のために、名刺(チラシもOK)等の交換の時等、持ちたいと思います。
主催:「北村やすひろ」後援会

朝の「辻立ち、あいさつ運動」頑張ります!!

新年あけましておめでとうこまざいます。
新春を迎え、皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
今年も朝の「 #辻立ち #挨拶運動 」頑張りたいと 思います。
先日、朝の辻立ちをしていましたら、通りかかった高校生達に、
2ショトで写真を一緒に撮って欲しいと頼まれました。
元気を頂きました。有難う!!

危機管理に関する行政とのヒアリング

(2202.11.10)
「宮崎県危機管理課」との交わりに於いて、
自助:耐震化、備蓄、
共助:自治体、町づくり(コミュニティ―活動の組織)
公助:消防、警察、自衛隊
市、町、村との役割分担の違いは、大きく言えば、
市、町、村が、具体的な(直接住民と接した)活動をするのをサポートし、必要と思われる情報の提供、災害・防災に関する地域住民の教育等を行う。
「宮崎県総務部・危機管理局・宮崎市危機管理課」との交わりに於いて、
主な仕事(役割)
・「危機管理」の全般に係る総合調整に関すること。
・防災会議及び地域防災計画に関すること。
・国民保護に関すること。(住民の命を守る。)
 日本に対する武力攻撃等含み対策、国と県と連携して対応。
・災害対策本部等に関すること。
・地震津波対策に係る施設及び設備の整備に関すること。
地震、津波:ハード面の整備。(例:避難タワー、避難用の外附け階段)
自助:情報の発信、ラジオ、TV、SNS等。
共助:自治会、コニュニテイーの中にある団体、組織との連携。
地域安全課:コーディネーター
弱者、高齢者、障害者に対する配慮:個別の避難←福祉総務課(福祉の専門分野の知識が必要となる場合がある。)

次男・望がサポートしているDEEN来宮!!

先日(2022.9.28)、 #DEEN が来宮、流石、宮崎市民文化ホールのイベントホールの300席があっさり満席。かなり早く、チケットをコンビニで購入したのですが、席は後ろから2列目の席。隣の方と話したら、延岡から、前の人は日南から、二人とも、超DEENファンとのこと、デビュー当時から(約30年前)からのアルバム(CD)をほとんど持っているとのこと!「私共の次男( #北村望 )が現在、ドラムでサポートしている」ことを言ったら、「スゴイ!」と言ってくれました。😊
ライブの後、 #池森さん#山根さん と楽屋で少し、お交わりさせていただき、記念写真も撮らせていただきました。
DEENのライブは30周年記念として、来年、3月、 #日本武道館 で計画されています。👍
皆様、応援、宜しくお願いいたします!👏👏👏

「北村やすひろ後援会」入会について

「北村やすひろ」後援会は、宮崎市を愛する皆様と共に、教育改革と福祉の活性化を通して、地域貢献活動に全力で取り組んでまいります。

「安心・安全で活力のある町づくり」目指して、皆様と共に、
「北村やすひろ」は滅私奉公の精神で尽力してまいります。

「北村やすひろ」後援会へのご理解、ご支持を宜しくお願いいたします。是非、後援会にご入会ください。いただいた個人情報は「北村やすひろ」後援会活動のみに使用いたします。

入会申し込み方法:
【①ご氏名②住所③電話番号を、以下のいずれかの方法でご連絡ください。①FAX 0985(39)8714(ルーズリーフ等、いずれの用紙でもOKです。)
②電話で直接  ☎0985(39)4048(お気軽に、お電話ください。)
※ご連絡して下されば、「入会申し込み用紙」(ルーズリーフ等、いずれの用紙でもOKです。)をお受け取りにお伺いいたします。
国を愛し、(郷土)宮崎を愛し、宮崎に尽くす!

育て上げる喜び!!
苦手に勝つ、自分に勝つ、受験に勝つ!
ガンバレ、宮崎の子供達!!
心を育て、知識を磨く!
情熱の「北村塾」塾長 北村やすひろ
http://www.kitamurajuku.com/

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春・夏・冬の特別講座有り!
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「米穂夢(マイホーム)」続報

「米穂夢(マイホーム)」続報

「 #米穂夢 (マイホーム)」活動は、「住吉地区 #町づくり 推進委員会・環境保全活動部会」の活動の一つで、「米穂夢」(素敵な名前ですが、)とは、「米作りを通して、『いのち』に繋がることを学び、人と人の絆や多くの実践活動を体験することで、『いのちをまもる・ふるさとをまもる・地域をまもる』ことへとつなぎ、 #地域 の大きな輪の中で子供達を育み、福祉へとつなぐ」ことを目的としています。

6月15日には、「 #田植え 」を終え、7月23日は、「 #案山子 (かかし)作り」をしました。コロナ禍とはいえ、今年はなんとか、住吉南小&住吉小の子供達等、11名を交えて実施されました。思い思いに、案山子に着せる服や帽子などを選び、竹竿に洋服を着せてワラを詰め込む作業を楽しみました。最後に子ども達が顔を仕上げて完成させてくれました。

8月20日には、先月23日子ども達と一緒に作った案山子9体を、米穂夢の田んぼに看板と一緒に、委員の皆さんと立てました。環境保全部会委員の皆さん(先輩方)の手際の良さに、改めて、感心しました。暑い中の作業お疲れ様でした。また、これから稲の実る季節となりますが、案山子の皆さんのご活躍を期待します。

「米穂夢(マイホーム)」活動は、子供達の成長過程に於いて、学校、地域、家庭の交流を図りつつ、「  #郷土愛  を持った人づくり」にも寄与する活動だと思いました。
(住吉地区まちづくり推進委員会・環境保全活動部会委員 #北村やすひろ )

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「平和を祈念する宮崎県民の集い」(宮崎県護国神社)

今日は、先日の、歴史談話会「大東亜戦争と太平洋戦争」でお世話になった(県立北高校教諭)大田原勉先生が、「君が代」&「海ゆかば」を独唱されることもあり、「平和を祈念する宮崎県民の集い」に参列してまいりました。式典は、来賓の挨拶や女子アナウンサーの「英霊の遺書朗読」等、戦没者を追悼すると共に、平和への祈念が捧げられました。今年も、朗読を通してご紹介下さったのは、私が現在住んでいる、宮崎市・住吉出身の、永峰肇海軍飛行兵曹長の辞世の句でした。

「南溟(南の大きな海)に たとえこの身が 果つるとも いくとせ後の 春を想えば」
(昭和19年10月25日 神風攻撃隊 敷島隊4番記機として出撃 19歳で散華)

国を愛し、国のために尊い命を捧げられた先人の皆様を、心からの畏敬の念を持って追悼いたしました。また、戦争という惨事を通して、尊い若い命が失われたことの無念さを感じると共に、平和について祈りを捧げる時となりました。